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会社の歓迎会で全額先輩持ちの文化が消えつつある理由

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新人は財布を持ってくるな。

ひと昔前の歓迎会では、こんな言葉が先輩の側から飛んだ。新入社員はおごられるのが当然で、先輩や上司が全額を持つことが職場の礼儀であり、愛情表現だった。ところがいま、この光景が静かに減っている。会費制の歓迎会、傾斜配分、なかには完全な均等割まで登場している。

この記事は、歓迎会の支払い文化の変化に戸惑っている若手社員と、いつまで全額出すべきか迷っている先輩・管理職の両方に向けて書いている。なぜこの文化が消えつつあるのか、その構造を分解する。


目次

消えつつある理由を4つに分解する

理由1 先輩側の経済的な余裕が消えた

最も大きな理由は、身も蓋もないがお金だ。

全額先輩持ちの文化が機能していた時代は、年功序列の賃金カーブが生きていた。勤続年数とともに給料が右肩上がりに増え、30代後半の先輩と20代前半の新人の間には、明確な経済格差があった。先輩がおごるのは、余裕のある側が出すという合理性に支えられていた。

いまは賃金カーブが平らになった。30代の手取りが20代とさほど変わらない会社は珍しくない。一方で物価は上がり続け、住宅費も教育費も先輩世代の家計を圧迫している。歓迎会の参加者が10人いれば、全額負担は軽く5万円を超える。それを役職手当もろくにつかない中堅社員が払う構造は、もはや美徳ではなく搾取に近い。

おごる文化が消えたのではない。おごれる経済力が先に消えた。

理由2 おごりの権力性に光が当たった

おごりハラスメントという言葉が生まれたように、おごる行為に含まれる力の構造への感度が、社会全体で上がった。

全額先輩持ちには、暗黙の交換条件が付随していた。おごってもらった以上、説教は黙って聞く、二次会も付き合う、翌日は感謝を伝えて回る。お金と引き換えに、時間と従順さが回収される構造だ。この構造が言語化された結果、おごる側もおごられる側も、無邪気ではいられなくなった。

先輩側にも変化がある。おごったことで見返りを期待していると思われたくない、距離感を間違えたと言われたくない。善意のおごりが誤解されるリスクを避けるため、最初から会費制にしてしまう先輩が増えた。

理由3 若手側が借りを作りたがらなくなった

受け取る側の価値観も変わった。

いまの20代には、おごられることを純粋な得とは感じない層が一定数いる。おごられた瞬間に発生する見えない負債、断れなくなる二次会、義理が生まれる関係。これらを総合すると、自分の分は自分で払ったほうが軽い、という計算が成り立つ。

割り勘ネイティブとも言えるこの世代は、学生時代からPayPayで端数まで精算してきた。お金の貸し借りを残さないことが人間関係の清潔さだという感覚があり、全額おごられることは、感謝より先にうっすらとした重さとして届く。

理由4 飲み会そのものの地位が下がった

そもそも歓迎会という場の重みが変わった。

かつての歓迎会は、組織への加入儀礼であり、夜の席でしか聞けない話が飛び交う情報交換の場だった。いまは業務の連絡はチャットで完結し、関係構築はランチや一対一の雑談で代替できる。飲み会は数ある選択肢の一つに格下げされた。

場の重要度が下がれば、その場に注ぎ込まれるお金も下がる。全額負担という大きな投資をする理由が、先輩の側から消えていった。


実録:現場で実際に起きていること

全額負担をやめた管理職YZさん(45歳)のケース

YZさんは課長になった当初、部下の歓迎会を毎回全額負担していた。自分がそうしてもらってきたからだ。ただ、ある年の歓迎会で気づいたことがある。おごられた若手の表情に、感謝よりも気まずさが浮かんでいた。

後日、信頼している部下に聞いてみると、正直に言えば会費制のほうが気が楽です、という答えが返ってきた。全額出してもらうと、途中で帰りづらいし、お礼の振る舞いを考えるのが負担だという。

以来、YZさんは会費制にして、自分は二人分だけ多めに入れる形に変えた。財布も軽くなり、若手の参加率はむしろ上がった。よかれと思っていたことが、双方の重荷だったと振り返る。

会費制に最初は戸惑った新人ABさん(23歳)のケース

ABさんは入社時、歓迎会は当然おごってもらえるものだと親から聞いていた。実際の歓迎会は一人4,000円の会費制で、最初は少しだけ、え、という気持ちがあったと言う。

ただ、会が始まってみると空気が違った。誰も説教をしない、帰りたい人は一次会で帰る、上座下座の緊張感がない。会費を払っているという事実が、対等な参加者としての居場所を作っていた。終わってみれば、4,000円は安心料として妥当だったとABさんは話す。


全額先輩持ちが消えることで失われるもの・得られるもの

公平に書く。この文化の消滅は、得ばかりではない。

失われるものは、世代間の贈与の循環だ。おごってもらった若手が、年次を重ねて次の若手におごる。この順送りの仕組みには、組織の中で恩を回していくという機能があった。会費制はその循環を断ち切る。先輩から何かをもらった、という原体験のない世代は、後輩に何かを与える動機も持ちにくい。

一方で得られるものは、関係の透明性だ。お金の貸し借りがない場では、発言も退席も自由になる。若手は委縮せずに話せて、先輩は見返りを疑われずに済む。負債で結ばれていた縦の関係が、選択で結ばれる関係に置き換わっていく。

どちらが正しいという話ではない。ただ、時代の条件が後者を選びつつある、ということだ。


先輩側・後輩側それぞれの新しい振る舞い方

先輩側の現実解

全額負担にこだわる必要はもうない。代わりに、傾斜をつけた会費制が最も収まりがいい。自分は5,000円、若手は2,000円、といった形なら、経済格差への配慮と対等な場の両方が成立する。

そして、おごるなら飲み会よりランチがいい。昼の1,000円台のおごりは、負債感が軽く、説教の時間もなく、純粋な好意として届きやすい。大きく一回おごるより、小さく何度も、のほうがいまの時代の作法に合っている。

後輩側の現実解

おごられたときの最適解は、過剰な恐縮でも当然の顔でもなく、その場での明るい感謝と、翌日の一言だ。昨日はごちそうさまでした、の一往復があるだけで、先輩側の出した数千円は十分に回収される。

そして、会費制を提案する自由が後輩側にもあることを知っておいていい。気を使わせたくないので会費制でお願いします、という申し出は、生意気ではなく配慮として受け取られる時代になった。


消えたのは文化ではなく、文化を支えていた前提だ

全額先輩持ちの文化は、三つの前提の上に立っていた。先輩には経済的余裕があること、おごりが純粋な善意として受け取られること、飲み会が組織にとって重要な場であること。

この三つが、賃金の停滞、ハラスメント意識の浸透、働き方の変化によって、ほぼ同時に崩れた。文化が嫌われて消えたのではなく、土台が抜けて立っていられなくなった。これが実態だ。

だから、おごらない先輩を冷たいと断じるのも、おごられて当然と構える後輩を甘いと断じるのも、どちらもずれている。両者とも、前提が変わった世界で新しい作法を探している途中にいるだけだ。

歓迎会の本来の目的は、新しく来た人を歓迎することであって、誰かの財布を空にすることではなかったはずだ。会費制だろうが傾斜配分だろうが、入ってきた人がまた来たいと思える場になっていれば、その歓迎会は成功している。お金の形式より、その一点を見失わないことのほうが、よほど大事だと思う。

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