結婚してからお金で揉めたカップルの多くが、後から同じことを言う。
「最初に決めておけばよかった」と。
生活費の分担、貯金のルール、どちらかが働けなくなったときの対応、離婚したときの財産分与。付き合っている間は気にならなかったこれらの問いが、結婚して生活が始まった途端にリアルな摩擦として浮上してくる。感情が冷えていないうちは話し合いでなんとかなることも、関係に亀裂が入ってからでは話し合いの場すら作れなくなる。
この記事は、結婚を具体的に考え始めたカップル、あるいはお金の問題に不安を感じている女性に向けて書いている。婚前契約を勧めることが目的ではなく、婚前契約という選択肢を正確に知ったうえで、使うかどうかを自分で判断できるようにすることが目的だ。
婚前契約とは何か。日本での法的な位置づけと現実
婚前契約とは、結婚前にふたりが合意した内容を書面にしたものだ。財産の管理方法・生活費の負担割合・離婚時の財産分与・不貞行為があった場合の取り決めなど、法律が定める範囲を超えて、ふたりのルールを文書化する。
日本では婚前契約に関する明確な法律が存在せず、法的拘束力は内容によって異なる。財産分与や慰謝料に関する条項は、公序良俗に反しない範囲で有効とされることが多いが、すべての条項が法的に強制できるわけではない。一方、公正証書として作成すれば証明力が高まり、金銭の支払いに関する条項は強制執行が可能になるケースもある。
要するに、婚前契約は万能の盾ではない。でも、ふたりの合意を文書として残すこと自体に意味がある。話し合いのプロセスで価値観の違いが明確になること、合意した内容が記録として残ること、問題が起きたときに立ち返れる基準があること。法的な効力を超えたところで、婚前契約はふたりの関係に働きかける。
欧米では一般的な慣行として定着しているが、日本では「信頼していないみたいで言い出せない」という感覚から敬遠されがちだ。その感覚は理解できる。ただ、契約を嫌うカップルがお金のトラブルで離婚するケースと、契約を結んだカップルが安心して関係を続けるケースを並べてみると、その感覚は少し揺らぐ。
お金のトラブルが起きやすい4つの場面と、婚前契約が機能する理由
収入差が大きいカップルの生活費分担
一方の収入が著しく高い場合、均等割にすれば低収入側の生活が圧迫され、収入比にすれば高収入側の不満が積み上がることがある。結婚前に決めていなければ、生活を始めてから毎月この問題に向き合うことになる。
婚前契約でルールを決めておくことで、都度の交渉が不要になる。感情が入る前に、事実として合意した数字があるだけで、摩擦の発生頻度が下がる。
一方が仕事を辞めるとき
出産・育児・介護・病気。結婚後には、どちらかが収入を失う場面が必ず訪れる。そのとき生活費をどうするか、貯金をどう使うか、専業になった側の家事負担をどう評価するかについて、事前に決めていないカップルほど感情的な対立になりやすい。
特に多いのが、妻が育休・退職後に家計の主導権を失い、夫の収入に依存する状態になってから、お金の使い道を夫にコントロールされるケースだ。婚前契約で専業側の生活費・小遣い・緊急時の使えるお金を明記しておくことで、この問題を先に潰せる。
親からの資産援助や相続
結婚後に双方の親から援助を受けるケースは多い。頭金の一部を親に出してもらった、相続で不動産が入った、親の介護費用が発生した。これらが夫婦共有の財産なのか個人の財産なのかが曖昧なまま進むと、離婚時に深刻な争いになる。
法律上、相続で得た財産は原則として個人の財産とされるが、結婚後に得た財産は共有財産と見なされやすい。婚前契約でこの区分を明確にしておくことで、将来の紛争リスクを下げられる。
離婚時の財産分与
離婚を前提に結婚する人はいない。でも、離婚率が約3組に1組とも言われる現実の中で、最悪のシナリオに備えることは、リスク管理として合理的だ。
財産分与の取り決めを事前にしておくことは、離婚を促進するのではなく、離婚になった際の争いを最小化する。感情が荒れているときに財産の話をするより、冷静なときに決めた合意のほうが、双方にとって公平な結果になりやすい。
婚前契約を結んだカップル・結ばなかったカップルのその後
婚前契約を結んだOさん(37歳)のケース
夫との収入差は年間300万円以上あり、Oさんのほうが高収入だった。結婚前に弁護士に相談し、生活費の負担割合・Oさんが育休を取った場合の夫の負担額・Oさんの親からの援助は個人財産とすること、の3点を婚前契約として公正証書にした。
費用は作成時に10万円程度かかったが、「その後の3年間で一度もお金の話で揉めなかった。費用対効果は高かった」とOさんは言う。夫も最初こそ戸惑ったが、「決まっていることがあると楽」という感想を持ったという。契約があることで、むしろふたりの信頼関係が安定したと話す。
婚前契約を結ばなかったPさん(40歳)のケース
結婚当初は収入もほぼ同程度で、お金の問題は起きなかった。転機は出産後に妻が退職したタイミングだった。夫の収入だけで生活する状態になって初めて、夫婦間でお金の価値観が大きく違うことが発覚した。
夫は生活費以外の出費を事前相談なく決め、Pさんには毎月決まった額しか渡さなかった。経済的DVという言葉がPさんの頭をよぎったのは、結婚4年目のことだった。
離婚の話が出てから初めて、財産分与を巡る話し合いが始まった。婚姻中の貯金の帰属・退職前の個人口座・親からもらった結婚祝い金の扱い。弁護士を挟んで1年かかった。「最初にちゃんと決めておけば、全部違った」とPさんは言う。
婚前契約に盛り込むべきお金の条件7つ
何を書けばいいかわからないという人に向けて、実際に盛り込まれることが多い項目を挙げる。すべてを入れる必要はなく、ふたりの状況に応じて取捨選択していい。
1. 生活費の分担割合
収入比・均等・どちらかが全額負担、のうちどれにするか。また、収入が変わった場合の見直し基準も決めておくと実用的だ。
2. 共有口座と個人口座のルール
何を共有口座に入れて、何を個人口座として管理するか。小遣いの額・上限・使い道のルールも含めて決めると、後から揉めにくい。
3. 一方が専業・育休・時短になった場合の対応
収入が落ちた側の生活費・小遣い・緊急時に使えるお金をどう確保するかを明記する。この項目がないまま専業状態になると、経済的に依存せざるを得ない状況が生まれやすい。
4. 親からの援助・相続財産の扱い
個人の財産として管理するのか、夫婦共有とするのかを明確にしておく。金額が大きくなるほど、後からの争いも大きくなる。
5. 大きな支出の決定ルール
住宅購入・車・リフォームなど、一定額以上の支出は双方の合意を要件とする、という取り決めを入れておくと、一方が勝手に大きな買い物をするトラブルを防げる。
6. 不貞行為があった場合の取り決め
慰謝料の金額や条件を事前に決めておく条項は、日本の婚前契約でも盛り込まれることが増えている。法的な強制力の範囲は状況によるが、合意の記録として機能する。
7. 離婚時の財産分与の基準
感情が荒れた状態で決めるより、冷静なときに合意した基準のほうが公平になりやすい。共有財産をどう分けるか、不動産があった場合の処理方法、子どもがいる場合の養育費の考え方を含めておく。
婚前契約を切り出すとき、関係を壊さない伝え方
婚前契約を提案することへの心理的なハードルは高い。「信用していないと思われたくない」「縁起でもないと怒られそう」。その感覚はよくわかる。
切り出し方で関係が変わることは、実際にある。責められている感じがする入り方と、一緒に考えようという入り方では、相手の反応が全然違う。
たとえば、こう切り出す方法がある。「結婚後のお金のルールを、感情が入る前に一緒に決めておきたい。契約というより、ふたりの取り決めメモみたいなもの。相手を疑っているわけじゃなくて、お互いが安心できるものを作りたい」という形で話すと、防衛的な反応になりにくい。
そのときの相手の反応を見てほしい。頭ごなしに拒否する、怒る、話を変えようとする。こういった反応が出る場合、お金の話全般を避ける習慣がある可能性がある。婚前契約の話が通るかどうかより、その話し合い自体が、相手の誠実さを測る場になる。
